大学生までは楽だった。
自身の場合、高校受験を経験したため、小学校~中学校までは苦労することが多かったが、それも今ほどではなかった。
高校に入学して以降、大学を卒業するまでは楽だった。生きてて楽しかった。
なぜなら、周りに「同じような考え方を持つ人」が多かったからである。
その意思決定に全く思考を巡らしてない人こそはいれど、
- 恩を与えてくれた友達には、何かの恩を返す
- 友達が困っていたのであれば助ける
- 嘘をつかない
など、当然のことを当然のように行う人が周りに多かった。性善説的な立ち回りをすることが許された。
大学に入学した当初、中学同期の親友(大学は別)が、別の中学同期の人からマルチ商法の誘いを受けたらしい。
ベッドか何かを買って、それを他の人に販売すれば結果的に儲かる仕組みらしい。
まずは、それを売っている社長と会って話してみないか?という誘いだったらしい。
(友達は断っていた。)
熟、モラルの高さと自身が受けた教育の水準の高さには大きな関係があると思う。
学生の時は、自身が享受する教育のレベルに値する人が実際にその教育を受けるような構造にあった。(つまりは、受験をするのであれば、レベルの高い学校にレベルの高い生徒が合格するであろうということを言っている。)
教育水準が同程度の人が周りに集まるため、同様のモラルを持っている人に囲まれて暮らすことができた。
しかし、大学を卒業したころから、明らかに自身とのモラルとは違うモラルを持っている人と触れ合う機会が増えた。
私の現職は、コンサルタントであり、比較的周りにはそういう教育水準の人が多いが、それでもモラルの差分を感じる機会が増えた。社外との交流の機会を持つようにしているため、それも含めれば相当数の違和感を感じていることになる。
正直、かなり辛い。
- 平気で嘘をつく人
- 仕事をお願いしていたのに、平気で飛ぶ人
- 自分が「凄い」人であることを後輩の男子に話させて、女子からもモテようとする会社の上司
これらであれば、まだ良い方である。
一番きついのは、普段誰にもかまってもらえないから、攻撃的な姿勢を見せてここぞとばかりにかまってくる人である
- がんをつけられたと錯覚し、道端を歩く他人に平気で怒鳴る人
- 普通席なのに電車で席を譲ってくれないからって怒鳴る老人
- 混雑する駅で無理やり肩をぶつけてくる当たり屋
- すぐに訴訟をちらつかせてくる業者
正直、社会に出るまではこういった人たちと関わる機会がなかった。
こういう人は、「教育の敗北・教育の歪み」の産物であると思う。
教育は歪である。
学生の時は、親族から「教育を受けさせ」られてきた。
だが、自身が受けた教育が十分であったか否かを語ることはなく、社会に出る。社会に出て子供を産めば、「教育を受けさせる」立場になる。
教育は階層的である。
学力が高い人が同じ階層に属するように、高校・大学ができている。(できた当初はそうではなかったかもしれないが、少なくても今は「そうなっている」)
社会に出れば、階層関係なく、同じコミュニティ(会社・団体・組織)に属することになる。
日本語がよくわからない人の想いを「さもその意味がわかっているかのように」斟酌し、慮る必要がある。
それは、社会を円滑に進めるための儀式であり、人を「野蛮人」にさせないための精神安定剤である。
昔、在籍するコンサルティングファームのJapanTopと話したことがある。
その方は、すべてのプロジェクトメンバーには、絶対に電車ではなく、タクシーを使わせるらしい。
(特に男性に対しての)理由は「電車では痴漢などの冤罪の事件で時間を取られてしまう可能性が否めないため」らしい。
有名なYoutuberなどと論理は同じだが、いわゆる富裕層は、「自身の足が引っ張られないこと」にお金を使う必要がある。
「有名税」などというつまらない言葉を使うべきではない。これは、「高モラル層(=富裕層)が低モラル層に対して間接的に払う手切れ金」である。
教育は十分に受けなければならないものである。
しかし、ひとたび社会に出てしまえば、教育を十分に受けているかどうかを問われる機会はない。
勝手な難癖を"妥当な理由"であると思いこんで、相手を攻撃することが可能になる。
本人にとってはそれが正義なのだ。
「あなたは将来、総理大臣になって日本をもっと良い国にするのよ」と言われて育てられた私だが、社会に出るにつれて、また、「他人」に触れるにつれて、社会貢献欲は全くなくなった。
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