農耕時代と比べると、現代は生きやすい。

「価値がある」物事が多様化したおかげで、どんな人間でも彼らなりの価値を出すことで、周りからも感謝がされやすくなった。

ただ権力がある人、力が強い人が重宝されるという、生まれ持った「才能ゲーム」からは脱却できるようになっている。

人生をうまくいくようにするための方法がある。月並みだが、「努力をすること」である。

他の"人生攻略サロン"が言っているような、「関わる人を選ぶ」「自分が好奇心を持ったことをやる」「環境を変える」と言ったようなことをしても、人生はうまくいかない。

努力だけがその人のパフォーマンスを最大限にすることができるし、それによって価値を感じてもらいやすくなる。

人間は、価値があるものにだけ、「相場」とされている金額を払っても良いと考えている。それゆえにパフォーマンスを最大化できる努力は重要である。

しかし、世の中には、「自分には才能がないから」と言って努力することを諦めてしまう人が数多くいる。

体感では、人間が100人いた時に、

90人:「自分には才能がないから」と言って努力をしない

5人:努力をすることに興味を持つが努力の具体的なアクションを行おうとしない

3人:努力するが、続かない

2人:一定期間努力を続けることができる

といった構成比となるだろう。

しかし、「自分には才能がないから」と言った時に、

①本当に自分には才能がないのか、

②才能はあるけど何かしらの理由(前に踏み出すのが怖い、努力をしても実らなかった時の時間的損失のリスクを取りたくない、単に努力をするのが面倒)によって努力をしたくないから

の2種類の理由がある。

で、上記の90人は自分では①だと思っているが、実際は②が理由となっていることが多い。

つまりは、自分には才能がないと自分では思っているが、実際は才能自体はあって、でも何かしらの理由でそれをやりたくない(=できないのではなく、実際はやりたくない)というだけなのだ。

前提、あるパフォーマンスがあった時に、構成要素としては努力由来のパフォーマンスと才能由来のパフォーマンスの2種類がある。

しかし、大抵の人間は、上記のうち後者の比重を高く見積もりがちである。もちろん、野球やサッカーの海外リーグに行くなど、"プロ中のプロ"を目指す際には、前者と後者、それぞれ完璧なレベルにまで高めていないといけないのかもしれない。

しかし、例えば自身が所属する集団・組織・コミュニティという範囲の中では、努力さえできれば、一番優れた人に簡単になることができる。

その意味で努力は万人に与えられた平等の権利なのである。

---

初出: 投稿