期待と期待値が混同して使われているように思う。
期待というのは、自分が既に与えられている以上のもの・ことを望むこと。
期待値というのは、仮に数万回同じ事象が起こり続けたときに、平均的に起こるだろうもの・ことである。(数学的にはもっと難しく期待値を説明することができるのだが、日常生活においては何がプラスで何がマイナスかを定義することが難しい。したがって、あえてこの定義とする)
例えば、マクドナルドにハンバーガーをテイクアウトしに行くとしよう。
ハンバーガーとポテトと飲み物を注文して、お金を払う。
店頭のパネルを見て、自分の番号が表示されるまで待つ。
番号が表示されると、注文した商品を受け取って、店を出る。
この時の"期待値"は、通常、「注文通りのハンバーガーとポテトと飲み物を受け取れること」にあるだろう。
人によっては、「(例えば)10分以内に、注文通りのハンバーガーとポテトと飲み物を受け取れること」にあるかもしれない。
この時、期待するというのは、「注文して1分以内でハンバーガーとポテトと飲み物を受け取れること」だとか「ハンバーガーとポテトと飲み物を注文するときに、セットにした方がお得ですよ?などと店員が声がけしてくれること」だとか、「ポテト用のケチャップを付けてくれること」だとか、そういうものである。
このような状況の時に、「人に期待しない」=上に書いたような「期待する」ことをしないというのは、正しい。
しかし、「人に期待しない」というのを屁理屈に用い、「自分が人に期待していないのだから、相手も自分に期待してはならない」という前提のもと、行動する人がいる。
卑近なものでいうと、「待ち合わせの時間に遅れた際にも謝らない」などであろうか。
通常、待ち合わせをするときの期待値は、「時間通りに待ち合わせにくること」であって、「待ち合わせにくること」ではない。
これからあなたが数万人と待ち合わせしたとして、平均的な状態とはどのような状態になるだろうか。
「待ち合わせが実現すること」ではなく、「時間通りに待ち合わせが実現すること」になるだろう。
世の中的には期待と期待値が混同されることで、人に期待しない=人に期待値を持たないとなり、「時間通りに待ち合わせに来ると相手に期待した自分が悪い」と勘違いをする人がいる、または相手にそれを強要する人がいるのだが、全くそうではない。
期待値を持つけれども、期待はしない。
それが普通であり、それが肝要であるのだ。
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