人生において明白な事実がある。
私たちは常に選択を強いられていること
選択を経て、人の人生は分岐すること
である。
補足をすると、選択と聞くと無限の選択肢の中から1つを選ぶイメージを持つ人が多いかもしれない。
だが、実際、選択をする場面では「自分がやりたくないことをやるか?やらないか?」の2択の場合が多い。
なぜなら、悲観的に話せば、私たちの人生の中ではやりたいことよりもやりたくないことの方がはるかに多いからである。
だから、選択肢というのは前に進むべき選択肢ではなく、前に進まなくてはいけない選択肢である。
マラソンで最後尾を走っているとしよう。収容車が近づいてくる。
最後尾だからリタイアしたっていい。そのような状況の中で、走り続けるかリタイアし続けるかを選ぶようなイメージだ。
「自分がやりたくないことをやるか?やらないか?」の2択では、多くの人が、その生計を立てる以外の場面では、やらないを選ぶ。
お金を稼がないといけないから仕事に行かなければならない。
引っ越し後、14日以内に転入届を提出しないといけないから、役所に行かなければならない。
今日以降、暫く収集されないから、ごみを捨てにいかなければならない。(それすらも放棄している人もいるだろうが)
こういう選択肢では、(仕方がないから)やるを選ぶ人が大半だろう。
しかし、
仕事でとある資格試験に合格する必要が出てきた。
今日の夜ご飯を自分で作るかどうかを悩んでいる。
髪を切りに行くのが面倒だ。
こういうシチュエーションがあったときには、やらないを選ぶ人が大半だろう。
このような、「自分がやりたくないことをやるか?やらないか?」の2択が問われることが多い人生、かつ、やらないを選びたくなるような動力が働いているといった状況で、どれだけ選択し続けることができるかが重要になる。
この選択は、当然多くの場合、「(自分がやりたくないことを)やる」という選択をした方が人生が好転しやすい。
なぜなら、人生は自然災害でも起こらない限り、自分の人生グラフの細かいゆらぎが結果的に人生を変えることになるのだからである。
常に結婚活動をし、パートナーをつくろうとすることをやらないという選択を取り続けた人がいきなりパートナーに恵まれることはない。
また、これまで仕事で頑張り続けることをやらないという選択を取り続けた人が、一発逆転できるような仕事にいきなり恵まれることはない。
ポケットモンスターというゲームがある。
冒険を進めていくと、最後の方に、でんせつのポケモンと呼ばれる、まぁ強いポケモンを捕まえる機会がある。
だが、冒険を始めて1分後に、いきなりその機会に恵まれるはずがない。
やりたくもない冒険(ゲームだから冒険しているのであって、社会生活においては普通はしたがらないだろう)をし続けて、色々な場所に行き、色々なポケモンと会い、色々な人と会うことで、冒険をしなければ見ることのできなかった景色が見られるのだろう。
そうした経験をすることなしに、いきなりその景色が見られるはずがない。
したがって当然の帰結になるのだが、やりたくないことはやったほうが良いのである。
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