悉く自分は、より沢山の人に見てもらうような文才はないと感じる。
人が文章を読む目的は3つあろう。
①文章を読むことで情報を得るため
②文章を読むことで、文章の書き手・主人公の経験と自分の経験を比較し、何らかの示唆を得るため(自分の経験を追体験するためと言い換えてしまっても良い)
③文章を読むことで、自分の認知からはかけ離れた、全く違う世界の視点を得るため
の3つである。
好例としては、
①はビジネス書や自己啓発本、②は自分の経験と近しい内容について書かれた小説やエッセイ・自己啓発本、③は自分の経験とは遠い内容について書かれた小説
などである。
これを観ても分かる通り、本の属性が①~③のいずれかに該当するわけではなく、読み手が①~③の目的のいずれかまたは複数をもって、本を読むのである。
話は変わるが、とかく私は万人受けするような文章を書くのが下手である。
私が本を読む際の興味の範疇は、「私の知らない視点(×情報)を教えてくれること」(上述の③)にあるのだ。
もし、初心な三歳児が描いた世界に向けた本があるのであればそれを読みたいし、ファシズムの台頭の中でどうしてヒトラーがあのようになってしまったのかをヒトラーの角度で論じたものがあるのであればそれを読みたい。(その本が専門家によって勝手に論じられているのであれば私にとってそれは情報なのだが、本人の発言・手紙などのファクトを使ってそれが論じられているものであれば私にとってそれは視点である。)
私は、「私が知らない視点を教えてくれる本」のような本(文章)を書きたいのだ。
ただ、こういった本を書くことは難しい。
なぜなら、全ての人が「私が知らない視点を教えてくれる本」に興味を持つわけではない。
興味を持つ人はおそらく全体の10%もいないだろう。
10%もいない中で、書き手が教示したい視点に興味がある人はさらに減ってしまう。
そうすると、私が書く文章に興味を持ってくれるような人はまさに全体の0.001%くらいになる。
そういう人にこそ、視点は伝えられるべきであるので、文章は書かれるべきなのだが、マス向けに書かれている文章に埋もれてしまうのも事実である。
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