「~ができる」と言う時に、
~が特定の物体である・できるというのは上手だという意味である
という条件を満たすとき、
「~ができる」は身体性が~まで伸びていると言うことができる。
例えば、年配者からパソコンができると言われることがある。
この時、その人にとっては私の身体性はパソコンまで伸びているように見えるのだろう。
つまり、「パソコンのこの機能がわからなくて…」と私に相談する際には、私が100m走をするときの関節の使い方を考える時のように、あたかもその答えが私の中にあるかのように相談する。
パソコンなんてものは全てヘルプページを参照するか、今だとGPTに聞けば全部わかるだろう。
それでも、パソコンの使い方を聞いてくる人は、パソコンができる人の中に全ての答えがあるかのように質問をする。
パソコンの使い方を知るよりも検索の仕方を知るべきだと言うのであればそれまでだが、どうにもそれだけでは事は終わらないように思う。
その人の課題は、「検索の仕方を知らないこと」ではなく、「そのように身体性が伸びていると錯覚していること」にあるような気がするのだ。
仮に、検索の仕方を知ったとしても、「検索するよりも身体性が伸びている本人に聞いた方がいいや」と思い、おそらく当人に同じ質問を投げかけるのだろう。
地元には、「パソコンの先生」のような人が「パソコン教室」という塾のようなものをやっている。
そこでは、そこまでパソコンに詳しくない私のような人が先生をやっているようである。
教えられたい人と教える人。その構図の中で経済は回る。
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