人間としての魅力がある人・ない人の違いは、文字通り「人間っぽいか・そうでないか」である。

人間にはあらゆる要素が含まれているが、私たちが粒立てて「人間っぽい」と感じるものは、つまり人間としての魅力になるだろう。

例えば、普段は淡々としており、丁寧に物事をこなす印象を与える友達のA君が、地図を読み間違えたりしていると、それは「人間っぽい」になるだろう。

私が話す人の中には、「自分が人間っぽくない」と悩む人が多い。

当初の私にはその悩みはよくわからなかったが、話を聞いてみると、

「毎日を無機質に生きている」「感情を表すことが苦手である」などと言う。

どうやら彼らには、人間は有機質に生きており、感情を表すことが得意に見えているらしい。

私はその時に、「偏愛」という言葉をキーワードにして話す。

偏った愛情を注ぐ対象や趣味を見つけてみろと言うのである。

ずぶの人間がいきなり有機的に生きられるようになったり、感情を表すことができるようになったりすることはない。それができるようになる必要はない。

まずは、自分がこの上なく熱中するものを見つけて、実際に熱中する。

それは友達に見せるためではない。

自分が自分を知るために熱中するのである。

私の知り合いにアンティークコインを収集する癖のある人がいた。会社員の収入を収集に費やすことだけでは飽き足らず、自分で会社を作って、フリーランスの仕事を副業で受け、その収入も収集に費やしていた。

他にも、全国のマンホールを写真に収めつづけている人がいた。ある地域の特定のマンホールは、他のマンホールとは違う、珍しい装飾のマンホールになっている(ポケモンのマンホールを見たことがある人はいるのではないか)。毎週全国を行脚し、マンホールを写真に収め続けている。

人間っぽさは、人間っぽく生きることで身に着くのではない。

人間として生きることで身に着くのではないか。

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