リラクゼーションドリンクの広告で「何もしないをやろう」という広告があった。
どうやら、心は休みたがっているけど体はそうなっていない。
また、その逆の状態…といったことが起こりうるらしい。
こう考えると、休日も人によっては「休日」でなかったりする。
休日に仕事をしてしまうのは、それが「休日」でないことをわかりやすく示すメルクマールになってしまうが、休日に運動をするのはそれが「休日」でないことになるのだろうか。
人によっては、運動をすることで気分をリフレッシュできる人もいるだろう。趣味で筋力トレーニング・ヨガ・ピラティスをあげるひとは、そういった運動をすることで気分をリフレッシュできるのだろう。
そう思った後でこの本を読んでみた。
心療内科医が教える本当の休み方
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どうやら自分の感じるストレスの種類によって、休み方が変わるらしい。
人間関係に疲れている人がスマホばかり見てはダメであるのと同様に、睡眠不足で疲れている人が体を動かしてリフレッシュするのはダメである。
そこまではわかったのだが、なぜか腑に落ちない。
おそらく、自分は「休み方」がわからなくなってしまっている。
それがどのような種類であったとしても、ストレスを低減するためには「休むこと」が必要だ。
いや、「休むこと」というよりも、「自分は休んでいた」という実感が必要である。
だから、仮に休むための行動をとっていたとしても、それで本当に「休むことができていたか」は本人に確認してみないことにはわからない。
では、本人が依然定義できていた「休み方」を定義できなくなっている状態の時には、何をすることでそれを定義できるようになるのだろうか。
これが今の自分の論点になっている。
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