仕事柄、外国人と話す機会が多い。

英語を使ってコミュニケーションを取ることも多いが、日本語でコミュニケーションを取ることもある。

彼らと話していて思うが、日本語を母国語レベルで話せるようにするということは大変なことである。

日本語では、少なくても日本語を用いたコミュニケーションでは

とにかくニュアンスが求められる。

外国語でもPleaseというよりはWould youなどと話した方が丁寧だとか、そういうものはあるのだが、

例えば、仕事をしていない人がいたとして、「今日は何をしていたの?」を久しぶりに会った友達が聞いたとする。

この時には、素直に「今日は何をしていたのか知りたかった」という思いの他に、「今日も何もしていなくて暇じゃない?」という思いを持つ友達もいるだろう。

実際、友達がどちらの思いを持って質問をしているのかは、完全にニュアンスで確定する。

わかりやすい例を出したが、このようなコミュニケーションが随所にあると思う。

野球部に入ったとして、コーチから怒号が飛んで「お前、もう帰れよ」と言われたとする。

この時は、多くは帰らないのが答えになるが、言葉のまま受け取ってしまうと帰ることになる。

こういうコミュニケーションを外国人と正確にできたことはない。

だが、これは彼らが悪いのではなく、日本語が悪いのだと思う。

ニュアンスというのは、言葉より後に生まれるものである。

その時に、そのニュアンスを割り当てる言葉を日本語で生み出すことができなかったから、ニュアンスというものができる。

それが、趣深い意味を示すものであれば、余白があって良いのかもしれない。

ただ、ニュアンスの中には、明言することが避けられるが、ネガティブさを表現したいものにも使われる。

それは、ニュアンスではなく、それに値する言葉を生み出した方が良いのではないかと思う。

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