私たちは、成功を学ぶことはできないし、成功から学ぶこともできない。
成功を学ぶことができないというのは、「これをやれば確実に成功する」というものが存在しないことを指す。
私たちが目にする成功本(「これをやれば確実に成功する」と謳っている本)は、成功のエッセンスを語っているに過ぎない。
エッセンスを全てマスターするだけで成功するということはない。必要条件と十分条件が考えればわかるはずで、確かに成功に大きく寄与するようなものはエッセンスとして抽出することができるかもしれないが、成功するためにはエッセンス以外の要素が必要である。
成功から学ぶことができないというのは、成功には再現性がないことを指す。
再現性があるように話すことはできるのだが、実際それは再現性がない。
とかく成功には運が絡む要素が多く、その運がなければ成功できない。
一度役満で上がれたとしても、次の局の配牌の時点で、今回は上がれないなと思うことがある。
それと同様である。
だが、世の中の動きは、どうにも一度の挑戦で成功しようとする方向に向かっていることを感じる。
それだけ世の中に成功本が出回っているからであろう。
だが、ノウハウというのは面白いもので、それに近い経験をした人にはノウハウが伝わるものであるし、それに近い経験をしたことがない人にはノウハウが伝わらないものである。
この意味でノウハウというのは、全くそれをやったことがない人が一気に能力値を上げられるようなものではなく、それに近い経験をした人にサプリメント的に能力値を上昇させるものになるだろう。
例えば、将棋有識者が将棋をやったことがない人にノウハウを伝授しようとする。
序盤はこのように駒を攻め上げた方が良い。この局面だと、このように駒を動かした方が良い。この盤面だともう積みだよね。などである。
将棋をやったことがない人からすれば「何を言っているのかわからない」、ちょっと地頭がある人なら「言っていることはわかった」という感想になるだろう。
しかし、そういう人が将棋をやったとしても、ノウハウを生かしきれない。
言われたノウハウを理解することができるのだが、体に浸透させることができていないからだ。
この点、将棋を少しやったことがある人なら、自分のこの局面での指し方が悪いのだとか、中盤の攻め方が微妙だなとかと思っているはずである。
そういう人にノウハウを教えることで、彼らの指し方に「改善」が施される。
自分に内省機能がなければ、改善はなされない。
改善しようとしているということは、自分の上手くいかないところを言語化し、より良い姿を本気で目指したいと思っていることである。
そういう人は、言われたノウハウを理解し、自分に浸透させることができる。
言い換えると「こうすればいいよ」と言っても、自分がそれをできていない状況であるときは、必ず自分が未熟であるときである。
自分の中に内省機能がないから、それができないのである。
付言しておくが、改善するということは悩むことではなく、考えることである。
悩んでいる人は、例えば何かの理由で将棋の練習時間が取れていない状態があったときに「練習時間を取ること」を改善だと定義する。
違う。実際に実行できないものを解決策とするのは単なる怠慢である。
ここでの改善というのは、なぜ自分が練習時間が取れていないのかを考え、ではどうすれば練習時間が取れるようになるのかを考えることである。
これができないうちは、一生未熟のままである。
---
初出: 投稿