学校の授業を受けさせたら、頭が良くなる。
それが無理なら、子供を塾に入れたら、頭が良くなる。
そう考える人が多いが、全く違う。
(パワプロなどとは違って、)習得のために一番重要なのは経験なのではなく、経験に対する気づきである。
だから、いくら経験を積ませたとしても、経験に対する気づき・感受性が全くなかったら、習得には大いに時間がかかる。(また、誰もがきついことからは逃げたいため、それが続かずに辞めてしまう)
では、論点として、「経験に対する気づき」力を育てるためにはどうすればよいか?を掲げよう。
この能力を育てる一番の方法は本人が経験の1つ1つを言語化することである。
言語化できていない経験は、本人には蓄積されない経験である。
また、言語化するのはあくまでも本人である。
親が、「これはこうだったでしょ?」と言語化してあげたとしても、本人の中にそれが蓄積されるかどうかは別の話である。
それは、誰かがそれを言語化してしまうことで、本人にとっては自分が経験しているように見えて、実は追体験しているような気になってしまうからである。
ティーチングの形で、「二次方程式はまずは平方完成するんだよね?するとどうなるの?そうだよね、(X-1)^2-4=0になるよね。そうすると-4を右辺に移項するんだよね。そうして、二乗を取ってみて、そうすれば答えが出るよね」という教え方をする教師・講師がいるとする。
生徒に気づき力があれば、この教え方でも良いかもしれない。
だが、例えば数学が苦手な生徒であれば、少なくても数学においては気づき力がない生徒が大半だろう。
このティーチングを生徒が聞いたとしても、自分が解いているのだが、どうもそう思えなくなってしまう。
教師・講師が言ったことをそのままやっているだけだからである。
いわば、行先は誰かが決めていて、その方向にボタンを押してラジコンを動かしているのが自分。そのような状況である。
だから、気づき力がない人への正しいコーチングは、「この問題を見て、どう思った?」「他に似たような問題を見たことがなかった?」「この数式のどこが気持ち悪いのか?」などを1つ1つ聞いていく。
仮に答えが出なかったときは抽象化して、「まずはXの右肩に2が載っているものがあれば、絶対に平方完成をしてみてね」などと言う。そういうものを一個一個積み重ねていく。
結局、そういう形で問題をたくさんこなしていかなければいかないのだが、気づきを意識して教えていくと、自然と備わるようになる。
また、抽象化の程度を教える側が工夫することで、その問題だけでなく、他の問題にも適用できるような気づき力も身につけさせることができる。
これができる教師・講師が良い教師・講師ということになるが、このような教え方は教師・講師の給料モデルからして、彼らに全く得がない。
例えば、生徒の成績の上昇率に連動した給与体系にする、生徒からのNPSに応じたインセンティブを付与する、中学・高校・大学の進学実績に応じた給与体系にする、など実力主義的な環境にならなければ、「短い時間でよりたくさんの生徒に「教える」」ことが目的となってしまい、生徒の気づき力の向上につながらない。
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