「自分は何も頑張った経験がないから、自信がない」

そういう人と会うことが多い。

そういう人と話していると、どうやら「自分は何も頑張った経験がない」から自信がないのではなく、「自分には頑張る能力がない」から自信がないと言っているように聞こえる。

事実としての経験がないのか、事実としての経験がないことを通して自分の認知として能力がないと思っているのかはかなり大きな違いである。

事実としての経験がないというのは、将来何かを始めることを阻害する理由にならない。

つまり、「今日はできなくても、明日はできるかもしれないじゃん」の論理である。

自分の認知として能力がないと思っているというのは、将来何かを始めることを確実に阻害する。

自分には能力がないから、今日も明日も未来永劫それができないのである。

自分で宣言した目標を3日で破ってしまう人がいる。

ランニングを始めて3日坊主になる。ジムを契約して1カ月目で行かなくなってしまう、仕事でこれだけ成果を出しますと言ったけど成果を出さないといったような人のことである。

ここで言っておくが、私は誰にでも「諦める権利はある」と思う。

自分が掲げた目標を必ず達成できる人はいない(と思う)。私だって、3日坊主にしてしまった経験もたくさんある。

だが、人生の中で目標を掲げる上での2つの鉄則がある。

①一度諦めてしまうと、次の挑戦を諦めない確率は1/n^2になること(n>=2)

②挑戦を諦めなかった経験がない人は「何もない人」であること

①はつまり、一度諦めると、次に諦めない確率が指数関数的に減ってしまうということである。

よくある間違いは、(実際諦める確率がもっと高いだろうがわかりやすくするために)諦めるか諦めないかは最初は50%だとする。

これで諦める選択肢を選んだとすると、次の選択肢も50%になるという間違いである。

しかし、実際は50%→33%→10%→6%などとどんどん諦めない確率が減ってしまうのだ。

これは先述したように、諦める経験を通して「自分には何かを続ける能力がない」と自身を誤解してしまうからである。

だから、「自分は何も頑張った経験がないから、自信がない」と言う人が生まれ続けるのである。

②は苦しい事実だろう。だが、実際はそうなのである。

友人や知人に趣味を聞いてみると良い。だいたいその趣味は、(趣味と言っているくらいなのだろうから)彼らが反復的に行っている趣味になろう。

だが、趣味を聞いて、「何もない」と答える人に対してあなたはどう思うだろうか?

既知の友達であれば、それはそれであなたの個性と受け取ることもあるかもしれない。

だが、初対面の相手で、趣味がない。休日にやっていることもない。などと話す人を見て、あなたは何を思うだろうか?

「この人ってどんな人なのかわからないな、会話に困るな」などと思うだろう。

挑戦を諦めないことでその人が形作られる。

それが人の魅力になり、「その人が何かを証明するもの」になる。

私は、誰にでも「諦める権利はある」と思うと述べた。

だが、諦め続けていると、自分が「何もない人」になってしまう。

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