ドラえもんの道具で「おかし牧草」というものがある。
これは、お菓子を動物のように家畜化するような秘密道具で、
例えば、チョコレートにおかし牧草を食べさせる。
そうすると、チョコレートが動物のように動き出す。
つがいを探して、自分で繁殖し、チョコレートを生み出すことができる。
こうすることで、「チョコレートがなくならずに、一生チョコレートを食べることができる」。
最近、考えていることがある。
それは、一人で享受する幸せに勝る複数人で分かち合う幸せがあるのではないかということである。
大人になると、急に一人でいるのが楽しくなる。
自分で好きに使えるお金が増えて、散財することができる。
自分が知らない場所に行って、知らない人に会うこともできる。
読みたかった本をいつでも読んでおくことができるし、積読をする余裕もある。
いつでも美味しい物を食べに行くことができるし、心の英気を養うこともできる。
だが、一通りそういうことをし切った後で空虚さを感じる。
孤独を感じているというよりは、幸せの総量(capacity)に上限を感じている。
例えば、何かを享受するときの自分の幸せの総量が100だとしたときに、それ以上の幸せを享受することはできない。
私は常時80くらいは幸せだと感じているから、先ほど述べたような散財は、残り20を埋める程度の余暇である。
だから、同じ体験を複数人で共有することに意味があると思い始めた。
複数人それぞれで幸せの総量・現在値が異なるはずである。
総量が私同様に100の人もいれば、10の人もいる。1,000の人もいれば1億の人もいる。
また、現在の幸せが私同様に80の人もいれば、5の人もいる。50の人もいれば、100万の人もいる。
だから、体験を共有することで全体としての幸せの総量が、私の中での幸せの総量を優に上回ることができるのではないか。
加えて、仮に幸せの総量・現在値が皆同じで、例えば私同様に総量が100、現在値が80だとしよう。
5人である体験をしたとして、それが(100-80)×5人=100の幸福効用であると思わない。
どうにも100以上の幸福効用があるように思う。
だって、仮に5人がそれぞれが個別でその体験をしたとしよう。その場合の幸福効用も100になるだろうが、皆で一緒に体験した方が楽しくないか?
ディズニーランドの同じアトラクションに5人それぞれが個別で楽しむよりも、皆で一緒に楽しんだ方が良いに決まっている。
複数人で体験を共有することには、一人でそれを体験することにα値を加えた幸福効用がある。そして、仮説だが、このα値は極めて大きい。少なくても3桁では表せられない幸福効用になるのだと思う。
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