「雪に耐えて梅花麗し」という言葉がある。
厳しい冬の寒さに耐えた後の春に梅の花は綺麗に咲くという意味であり、
転じて、苦労に耐えたその先に大きな成功があるという意味である。
私たちは一般的には、「子供の時に苦労をして、大人になったら子供時代に積み上げた資産を使って楽をする」傾向にある。
「いい大学に行くために子供の時は勉強すべきだ。いい大学に行くことができると、その後で(モゴモゴモゴモゴ)」と言われ、勉強を始める。
大人が習わせたい習い事を子供時代には習う。
大人がつぶしたくない可能性の割を食うのはいつだって子供である。
確かに子供の時の努力は、大人になった今では「効率が良い」努力だと思う。
公認会計士の資格を取ると年収がこれだけ上がる。だから今勉強している時間の価値はこれくらい。だったら、割が良い資格なのではないか?と某塾長が言っているが、本当にそのとおりである。
だが、苦労をする期間を子供時代だとして、楽をする期間を大人時代だとあえて定義すると、
子供が大人になる瞬間はいつなのだろう?
苦労中毒になっている人がいる。
それは、大人になって楽をするために、子供時代を遅延させながら、あらゆる苦労の辛酸をなめたがる人のことである。
確かに、カタログスペックのようなものはピカピカになり続けるのだが、そういう人はいつ楽をするのだろうか?
でも世の中には子供時代に苦労しなかった人が多い。苦労はしているのかもしれないが、それに耐え続けることをしなかったのかもしれない。
中学1年生になってからxやyが出てきて、数学が分からなくなった。そこから数学は諦めたと話す人は、きっとそうなのだろう。
そういう人は、必ず大人になった後で割を食う。正直、年収が2倍違う人がいたとして、年収が高い人が低い人の2倍の価値を出しているかというと、決してそうではない。
年収の話だけではなく、他の話でも同様である。
この1.X倍を2倍たらしめているものが、子供時代の苦労の実りだろう。
だが、子供時代の苦労を実らせるために、子供時代を遅延させた挙句、何かの拍子で早死にしてしまえば意味がない。
私は、絶賛子供時代の遅延期間を過ごしているが、この遅延は他の人には勧められない。
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