知性が合っても人生は楽にならない。

知性よりも品性が必要だ。

品性がある人というのは、道徳的基準に基づいて、人格や人柄が優れている人のことである。

どんなに知性が合ったとしても、品性がないのであれば、

知性が高いがゆえに享受できる財・サービスも意味をなさないものになる。

なぜか?

品性がないのであれば、「より多き・大きを求め続ける」からである。

人間が満足する基準はない。

道端にいる赤の他人にチョコレートを、相手の満足のいくまで配るとしよう。

人によっては、1枚のチョコレートで満足する人もいれば、100枚のチョコレートで満足しない人もいる。

このように、あるものを享受できる環境があったとしても、人が満足するための「相当量」という概念はない。常識とされるような量はあるだろうが、相当量(満足のいく量)は人それぞれだからである。

品性がない人は、この相当量が非常に高い。

つまり、コンビニで「ここからここまでの列のものを全てください」と言うように、ありったけの量がないと満足しないのである。

人生を楽にするためには、「満足する」という経験を積み重ねる必要がある。

満足感がない人生は、空腹の中で砂漠を歩いているような辛さがある。

だが、品性がなければ満足できない。

水をたくさん持っていて、たくさん飲んでいるのだが、ただ砂漠を歩いているとなぜか辛い。

品性がない人はそういうことをしている。

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