意思決定は、「考えに考えを重ねて行うもの」だと考える人が多い。

だが、実際はそうではない。

意思決定は、偶発的に行われるものである。

確かに、法人・企業のような合理的な意思決定が合理的な手続きで求められる場合には、考え(検討)に考え(検討)を重ねて行われることがある。

法人の意思決定は、3カ月やってうまくいかなかったらすぐにやめるということが行いづらいからである。

そうすることもできるが、他者ステークホルダーへの説明責任が求められる。

だが、私たちは法人ではない。

今日の夜に作るご飯は、その時の気分で決める。

そうでなくても、スーパーに行って買い物をしながら考える。

今日の夜に作るご飯に対して、3日かけて考えている人はいないだろう。

重い意思決定も、実際はそのように軽く考えて行われている。

就職活動で複数の企業から内定をもらっている就活生がいるとする。

その人がどこの企業に入社することを選ぶのか悩んでいるとする。

でも、実は悩む前から答えが決まっていることも多い。

本人が悩んでいるのは、どの選択肢を選ぶのかではなく、選択肢の答えは決まっていて、選ばない選択肢(捨て選択肢とでも呼ぼう)を選ばなくても良いのかで悩んでいるだけだ。

子供の時、日曜日の午後に友達を遊ぶ約束をしていたとする。クラスで二番目に仲が良い親友である。

だが、金曜日になって、クラスで一番目に仲が良い親友から日曜日の午後に遊ばないか?と誘われた。

私は、最初の約束を優先する人だ。

だから、そのお誘いは断ろうと思っているが、そのお誘いを断ってしまっても良いか悩む。

それと同じ状況である。

選択肢があるから、人は悩む。

最初から1つの選択肢しかないのであれば、全ての人は悩まないはずである。

また、全ての人はどの選択肢を選んだ方が良いのかでは悩んでいない。

全ての人は、選択肢が提示される段階で、どの選択肢を選んだ方が良いのかはわかっている。ただ、捨て選択肢を本当に捨てても良いのかで悩んでいる。

鳥は、えさとなる魚が水面付近に近づきやすい場所で出待ちする。

その場所から100m離れたところで魚が水面に跳ねたとしても、鳥はその魚を捕まえることができない。

その様子を見たとき、鳥は「捨て選択肢が正しかった」と思うだろう。

しかし、だからといって、捨て選択肢の近くに移動すると、先ほどいた本命選択肢の近くで魚が水面を跳ねる。

鳥は「本命選択肢が正しかった」と思うだろう。

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