正義感を持つことというのは良い側面で語られることが多いが、悪い側面も多い。
というのも、正義感というのは、ある事柄に対して「自分にとって」の正しさに自発される感情のことであるからだ。
したがって、
「自分にとって」の正しさが歪みすぎている、歪まな過ぎている場合
正しさに自発される感情がネガティブなものである、またそれが強い強度を持っている場合
このような場合は、本人または他者が、本人の持つ正義感に苦しめられることが多くなる。
例えば、
①自分がその自動販売機で買っていないペットボトルを飲み干したときに、路上の自動販売機のごみ箱に捨てる
②コンビニで買って食べたおにぎりのごみを、別のコンビニのごみ箱に捨てる
③家庭ごみをコンビニに捨てる
④飲み干したペットボトルを路上にポイ捨てする
それぞれのケースにおいて、それが許せる・許せないというのは本人の正義感に強く依存する。(もちろん、犯罪はダメである)
この正しさが歪みすぎているというのは、①のケースはその正義感上ダメであると考えているのに、④のケースは問題ないと考えているようなケースのことである。Aがダメなら当然Bがダメであるという論理を持てていないケースである。
歪まな過ぎているというのは、①-④はもちろんダメだが、例えば
⑤コンビニのごみは、たとえそのコンビニで購入したものであってもゴミ箱に捨ててはダメである
というような多くの人が、それはゴミ箱に捨てては良いのではないかと思うケースでもダメであると考えてしまうケースである。
正しさに自発される感情がネガティブなものであるというのはわかりやすい。例えば、怒・恨などの感情のことである。
それが強い強度を持っている場合というのは、例えば、
- 自分に全く害がないのに、周りの人の行為に対して、正義感をもって怒ってしまう
- 周りの人の行為に対して、継続してモヤモヤする
などである。
私の周りでも、自身の正義感によって結果的に苦しめられている人が多い。
私からすると、理解できないこともないが、なぜあなたがそこまで怒る・恨むのか?と思うことが多い。
かくいう私も、そうあって当然であることがそうなっておらず、それによってその当事者ではなく、サービスを受ける私側に損害が発生することに対しては、強い正義感を持っている。
飲食店であれば、店員の態度が悪いことに対しては何も思わないが、自身が注文していた料理があり、その料理の在庫が切れており、料理が作れません。でも注文した料理の代金はいただきます。といったお店に対しては、強いネガティブな感情を持つ。(実際そういったことが過去にあった)
正義感は持っておいて損はないものではあるが、持ちすぎても損になるものではないだろうか。
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