たまに動けない日がある。

私にとってはそれは身体的な体調不良が原因となって起こる。

だが、私の周りには身体的な体調不良の他に、精神的な体調不良によって動けない日がある人もある。

身体的な体調不良も精神的な体調不良も抱えない人は世の中にいないのだから、どのような人であっても「たまに動けない日がある」と思う。

たまに動けない日には将来のことを考えがちだ。

このままの人生で良いのか、今の仕事は楽しいのか、何に自分は悩んでいるのか。

このままの人生で良いのか、止まってしまった水道代金を払いに行くべきか。早く働き始めた方が良いのか。

悩んでも悩んでもキリがない。

噴出口から流れ出るマグマのように、普段は感じないようにしていた想いがあふれ出す。

人生、上手くいっていないのはわかっている。

だけど、変わりたいとは思っていない。

というのが本音であろう。

私は、たまに動けない日があることが今の人生を豊かにすることだと思っている。

なぜなら、動けない日がないと盲目になる。

なぜ今を生きているのか。人生の在り様を追求することなく、今を生きてしまう。

だが、そのように生きてしまうような人生は空虚な人生である。

味のなくなったガムを噛み続ける人はいないだろう。ガムは噛むと「美味しい」食べものであり、噛み続けるために食べるものではない。

動けない日に感じた想いは、自身のエネルギーの原動力になる。

今動かなくてもいい。いつか動けばいい。

今動かなければ、この先ずっと動けないかもしれない。

そう言う人もいるだろうけど、それはエネルギーの原動力が足りていないのだから仕方がない。

動き出すためには動摩擦力以上の初速が必要なのである。

今は、原動力不足のため、初速が小さいから動こうにも動けないのである。

人生に意味のない日なんてない。動けない日であっても、それは意味がある日である。

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