テレビに向かって吠えているおじさんがいる。

彼らは野球中継に対して、怒号を放つ。

いや、野球中継ではなく、自分が応援しているチームに吠えているのか。

仕事柄、色々な人と出会う機会が多いからわかるが、

「コーチ」のような話し方をする人がいる。

聞いてもいないのに彼らは彼らの実績・経験を話したがるし、求めてもいないのに彼らは有難いアドバイスをよこしてくる。

だが、そういう人の多くは、全てコーチ目線でこれまでを過ごしている。

彼らが語る実績は、彼らが成し遂げた実績というよりは、成し遂げた人が別でおり、彼らはコンサルティング(よく言えば。悪く言えばペテン師)のような支援をしているだけである。

彼らが話す話には色がない。失敗は人の血肉になるが、失敗を感じていない人の血肉にはならない。

全財産が100円の人間がいたとして、100円のおみくじを引くとしよう。そのおみくじに書かれていることはその人にとって全て金言に映るだろう。

だが、全財産が1億円の人間がいたとして、同様におみくじを引く。書かれていることが金言に映るかどうかは人それぞれである。

金言を得よう・示唆を得ようとしている人にとっては、何かが金言に見えることもあるだろうし、そうしようとしていない人にとっては、全部が駄文に見える。

自分のコートで戦ってこなかった人は、早々にコート外の応援席に座ろうとする。

ただ、自分の人生は常に自分のコートで行われるものであり、コート外でそれを見るということは、主人公がいないモブを主人公に見立てていることに他ならない。マリオ(キャラクター)がいないマリオ(ゲームの通称)は、ゲームとして破綻している。

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