我々は現在を生きている。
と思いこんでいる。実際は、
①過去を生きている人
②今(現在)を生きている人
③未来を生きている人
の3種類に分かれる。
最初に結論を言うが、過去や今を生きるべきではない。未来を生きるべきである。
過去を生きている人というのは、
「以前は~だった」「前の環境では~だった」
「昔~という功績を残した」などと言う人のことである。
事実としての実績を述べるだけではまだ良い。
しかし、現在何かしらに不満足を感じていて、これが過去の環境であればよかったのにという反実仮想のことを述べるのは避けるべきである。
それを言うことに意味がないからである。
意味がないだけではなく、少なくても周りの多くは「現在を生きている」。
反実仮想は現在を過去に戻そうとする求心力を働かせる。だが、実際そうすることは不可能である。
結果、周りの人からは「どうしようもないことを言っている人」と思われてしまう。
過去を生きている人に比べたら、現在を生きている人は幾分かはマシかもしれない。
「今~をやっている」「~という人生を過ごしている」などが口癖の人である。
だが、理想的には現在を生きるよりは未来を生きるべきである。
なぜなら、現在は生きてしようと思えば、いかようにも生きてしまうことができる。ベッドで寝ながらネットフリックスを見るだけで1日を過ごせてしまう。
だが、多くの人にとって人生の中で目標があるだろう。
たいそうな目標でなくても良い。
「猫を飼いたい」
「高級な茶碗が変えるような生活がしたい」
「年1回は旅行に行きたい」
本当に何でもよい。
ただ、そういった目標を掲げながら毎日を過ごすことで、自然とそういっった目標に近づくようなアクションを取るようになる。
それは、現在を生きているようで未来を生きている。
現在進行形という言葉がある。「~をしているその最中である」という言葉を指す。
特に英語の文脈で使われるだろうが、これは短い時間軸でも長い時間軸でも用いることができる。
「今、服を着ている最中である」
「ここ数年間、東京に住んでいる」
前者は一瞬だが、後者は数年間の時間軸の話である。
未来を生きるということは、目標を描き、「描いた目標を達成するために生きているその最中である」と声高らかに宣言することである。
目標を起点としてバックキャスト的に現在を生きることが未来を生きるということであるのだ。
描いた目標を達成するべく生き続けていれば、絶対にそれを達成することができる。
達成できていないのは全て、描いた目標を達成することが頭から離れてしまっていることが原因である。それは未来を生きているのではなく、現在をただ生きているだけなのである。
「願えば、叶うから。」は言い得て妙なのだ。
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