「自分は人に対して気を遣える人である」と言う人がいる。
だが、よくよく観察してみるとそう言う人が自分にとっては「全く気が遣えない人」だったと思うことも少なくない。
気を遣えていると自認しているか否か
実際に気を遣えているか否か
の2×2のマトリクスがあることに気づく。
一番良いのが「気を遣えていると自認している、かつ実際に気を遣えている」人である。
この時に最も悪いのは、「気を遣えていると自認していない、かつ実際に気を遣えていない人」。つまり、「自分は気を遣えない人だと思っていて、実際に気を遣えない人」ではない。
一番害悪であるのは、「気を遣えていると自認しているものの、実際には気を遣えない人」である。
自分のことを気遣いができる人だと勘違いしている分、厄介である。
なぜなら、彼らには「気を遣ってほしい」ことを働きかけることができないからである。
仮にそう働きかけたとしても、「既に私は気を遣える人である」と門前払いするだろう。
原則、気を遣えるかどうかは自分ではなく、相手が判断することである。だから、気を遣える人であることを自認するためには、相手から「あなたって、気を遣える人であるよね」というフィードバックを受ける必要がある。
だが、気を遣えると自認するが、実際そうではない人は、何か1つ自分が気を遣えると思う行動をするときに、「自分は気を遣える人である」と自己フィードバックをしている。
そういう彼らは井の中の蛙の世界でしか生きていない。
仮にある側面では気を遣える人であったとしても、余りある他の側面で気を遣えない人であるのであれば、それは「気を遣えない人」なのである。
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