人によって思考のクセがあるように思う。

なぜその人はそれを考えたのか?が気になってしまう人

その人の話し方・口ぶり・ジェスチャーが気になってしまう人

過去を振り返るよりも、じゃあ将来はどうしていくのか?を気にする人

過程よりも目的・意味合いを重んじる人

こういう思考のクセは自身の思想を形成するように思う。

思想があるから、思考のクセが作られるのではなく、思考のクセがあるから、思想が作られるのである。

例えば、近年コンサルティングファームに入社する新卒は、彼らが求めるような思考力を持っていない者が多い。

そういった若者は、入社後から数年にわたって、上司から詰められ続けることで思考力を磨く。

思考力の中身についてはここでは議論しないが、思考力の中の1つに問題解決思考は間違いなく含まれるだろう。

問題解決思考は、問題の中でfocusを当てるべき課題に対して、その課題が生じる背景は何で、どうすればその課題の原因となる要素を取り除き、それが解決できるのかを考える思考である。(この意味で私は問題解決思考ではなく、課題解決思考と呼びたい。)

問題解決思考を脳内にインストールしていく中で、「問題解決思考を正しいもの・当然のものだとする」思想が培われる。

この過程で顕在化するのが、コンサルタントのライフパートナーが悩むような「モラハラ」問題である。

問題解決思考が癖づけられてしまったことで、何か不和があったときにはそれは全て論理的に解決できるものだという思想に、コンサルタントが陥ってしまうのである。

不和が起きたときに、ライフパートナーは"そういうもの"は求めていない。

これは、思考のクセが思想を形成した例と言えるだろう。

では、その前提で一番大事なことは何か?

一流の思考のクセを頭に入れ続けることである。

私は、最近の動画プラットフォームの発達に感謝している。

なぜなら、私が普段合うことはないだろう超一流の人が話している姿を当然のように見ることができるからだ。

本からも同様の情報を得ることはできる。ただ動画であれば、話をする間合い・話すテンポ・目線などといった情報を感じ取ることができる。

だから、あらゆる人生のステージにおいて、1冊の本をその味がなくなるまで堪能するように、1つの動画を繰り返し堪能した方が良い。

---

初出: 投稿