物語はそれを実現させようとして作るものではない。
実現するための引力を得るために作るものである。
何をゴールと設定すべきか。そのゴールに対してどの時間軸で何を実現していくべきか。
を設定するということは、つまり「物語を作る」ということである。
「桃太郎」を作った人は、必ず鬼ヶ島で鬼退治をすることをゴールと設定した後で、物語を作り始めているはずだ。
大枠での「桃太郎が生まれる」「犬・サル・キジを仲間にする」「鬼ヶ島に行く」「鬼退治をする」は決めた上で、物語を作り始めている。
大人になった今でも何かの目的を設定することは多いだろう。
「英語が話せるようになる」
「パークタワー品川天王洲を買う」
「2028年までに部長に昇進する」
など、何でもよい。
本当にそれを達成したいと思うのであれば、上述したような、時間軸別での達成したいことを考え、物語を作り始めると思う。
ただ重要なこととしては、物語はそれを編纂すること自体に価値があるということである。
物語を作る人の多くは、その物語を必ずや達成しようと思うだろう。
しかし、本当に時間軸別での達成したいことをクリアしても、目的を達成できないことは往々にしてある。
それは、震災含めた天災や自分でコントロールできない事象によることもあるし、単に自分の「目的を実現するために達成したいことの洗い出し」力不足であることもある。
そのたびに、目的が達成できない自分に幻滅し、目的を設定すること自体に憂慮するようになると、目的を設定しなくなる。
英語を話せるようになりたいけど、自分の頭では話せるようにならないだろうな。と思い、目的を設定することすらしなくなる。
ただ、物語は編纂すること自体に価値がある。なぜなら、必ずしも目的を達成できないかもしれないが、物語を作ることで少なくても「達成しよう」と思えるからである。
もちろん物語を作る段階では、それを実現しようと思っていなければならない。実現しようと思っていない状態で作った物語は夢物語であり、「人間が空を飛ぶ」物語であるからだ。
しかし、物語を作った後は、物語を実現しようと頑張るものの、どこかで物語を実現しようと頑張っている状態が重要なのだと思うべきである。
並行して、両方の感覚を持つべきなのである。
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