無能な人ほど、試合の後半で勝負が決まると思い込んでいる。
入社先で論理的思考力を身につけたい
将来は、お金を稼ぐ能力を得たい
高校3年生になったら勉強を頑張る
だが、人生の99%は試合の前半で勝負が決まる。
ハーフタイムの時に焦った時には勝負がついている。
無能な人ほど、試合の後半で勝負が決まると思い込んでいることには理由が2つある。
第一に、私たちがフロー的に獲得できると考えているものは、実はアセット的にしか獲得できないものであるからである。
例えば、30歳で1,000万円の年収にする、そして40歳で2,000万円の年収にするといった目標を持っている人がいるとしよう。
そのような人は、30歳でいきなり1,000万円の年収が稼げるようになると勘違いしている。実際は、そのようなことはなく、毎年毎年順当に稼げる能力が身についていき、結果として30歳で1,000万円の年収を手に入れることになる。
このように、目標は「それを叶えるための能力」に必ず帰結できる。また、その能力を獲得することは一朝一夕には成し得ない。
日々の不断の努力により、次第にその能力を獲得できるようになる。
無能な人はこの原理が分かっていない。分かっていても努力することができない。
「楽に目標を実現すること」の最大の近道は、実は努力なのである。
第二に、無能な今の自分を正当化するためには、「いつかできるようになる」と言い聞かすことが必要不可欠であるからである。
無能な人でも、生きていなければならない。(別で記すが、この点に関しては、私はどのような人でも「生きている」べきであると考えている)
だから、生きている自分を肯定しなければならない。
そのためには、自身の精神性を肯定しなければならない。
ある種合理化するための一番の良薬となるのが「いつかできるようになると思い込む」ことである。
いつかできるようになると考えることで、まだそれができていないことを合理化できる。
明日人間は空を飛ぶことができると思っている人は、今日空を飛べていない自分を肯定できる。
なぜなら、その人は目標を持った状態を維持することができるからである。
人は目標を持つことで輝くことができる。
目標がない人間は「死んでいる」人間と同等である。トーマス・カーライルと同意見である。
逆説的に、試合の前半で勝負が決まると思っている人は有能にある資格はある。後は努力をして近道を歩むだけである。
---
初出: 投稿