学校教育で勉強ができるようになるためには、2種類の勉強方法がある
①なぜそうなったのかの論理を強く理解し、似たような問題が出題されたときに、論理をテコに回答を導く
②なぜそうなったのかの原因と結果そのものを覚える。似たような問題まで全て覚える
上記、①の勉強方法を採用している人は、数学・理科(・国語)が得意になりがちであり、②の勉強方法を採用している人は、社会が特になる。
特に歴史は、①の勉強方法のみでは成績が上がらない。なぜなら、Aという行動をとったときの他者の反応は本当に様々であるからだ。
例えば、ペリーが来航した以降の江戸幕府末期では、当初薩摩藩と長州藩は別の思想を持っていた。しかし、それぞれが米軍との衝突を経験し、米国と融和しながら力をつけ、力がついたタイミングで排斥するという方針になり、結託することになった。これがのちの薩長連合である。
この時に、①の勉強方法を採用している人は、
- そもそもなぜ薩摩藩は、幕府を支えながら、幕末の困難に対処しようとしたのか?(=公武合体派)
- そもそもなぜ長州藩は、幕府を排他し、天皇を中心にまとまろうとしたのか?(尊王攘夷派)
- どうして、薩摩藩と長州藩は地図上だと少し離れているのに結託することになったのか?
など、テストの点数を上げることに結びつき辛いが、なぜそうなったのかを深く考える。
しかし、②の勉強方法を採用している人は、「わからないけど、そうであったのであれば、そのまま覚えようよ」の思想で丸暗記する。
学校教育には、必ず出題範囲がある。自身がどれだけ歴史に詳しいかは必ずしもテストのみで測ることはできない。
なぜなら、テストでは「テストに出題されやすい範囲」の中で問題が作られがちであるからである。
三国志に異常に詳しい人が中国史のテストで高得点を取れないこともある。
逆に、②の勉強方法を採用している人は、出題パターンがある種無限にある科目は苦手に感じる傾向にある。
数学などは、数値を変えればいくらでも問題を出題できる。また、大学受験の数学は、1つの単元のみに閉じた問題は出題されることは少なく、複数の単元に横断して出題される問題が多い。
これらすべてを覚えることは物理的に無理であり、彼らは伸び悩むことになる。
私としては、①の勉強方法を推奨したい。なぜなら、上記に述べたように、社会に出た後は「全て覚えれば解決する」ことは少ない。経験を抽象化し、その学びを将来の行動に対して適用させなければならない。
だが、現在①の勉強方法をしてきたものよりも、②の勉強方法をしてきたものが多いと感じることが多い。
元々②の勉強方法に自信があるわけではないのに、①の勉強方法ができないから、消去法的に②の選択肢をとっている。(極端に言えば、消去法的な選択肢で文系を選んでいる人が多いということだ。)
全てを記憶できるはずもない。そのための努力を惜しむわけでもない。だけど、論理力がない。暗記するしかない。だけど努力してないので暗記できない。上司に怒られる。へこむけど努力はしたくない。・・・
といったループに陥っている人が多すぎる。
断言できるが、子供の時の思考習慣は将来にまで適用される。
子供のときに論理的に考えることができなかった人が、将来論理的に考えることができるようにはならない。
その時その時で自分に甘んじて生きている。最初は、適当な経験から「なんか論理って苦手。勉強したくない」から始まってるだけ。
だけど、そこから逃げているせいで、今は「仕事が苦手」になっている。
人は人生のどこかで頑張らなければならないし、頑張るタイミングは人生のできるだけ早いタイミングが良い。
なぜなら、過去であればあるほど頑張りにレバレッジが聞く。
今日もらえる100円と、100年後もらえる100円では前者に価値がある。
頑張りはコストと考える人がいるが、利回りが良い投資である。本気で頑張れば、絶対利益が出る投資である。
それがわからない人が蔓延する社会に対して、論理教育の失敗を見出している。
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