現在の仕事ではあまり感じることはなかったが、「自身が頑張って結果となるものを作った。だからその結果が正しい」と言った論調の人が思ったよりも多い。

どうやらそういった人は、自分の頑張りを皆に認めてもらいたいようである。

頑張りが成果のすばらしさに影響することはあれど、成果の正しさに影響することはない。

成果のすばらしさというのは、成果の質の高さのことである。

陶器の御茶碗を作って販売する職人の場合は、陶器の御茶碗の質の高さであり、

パーソナルジムのトレーナーの場合は、筋力トレーニングの丁寧さである。

成果の正しさと言うのは、成果そのものの確からしさのことである。

陶器の御茶碗を作って販売する職人の場合は、当然、陶器の御茶碗を作らなければならない。陶器の御茶碗を作っていると言っておきながら、プラスチック製の御茶碗を販売しているのであれば、当然クレームが来るだろう。

パーソナルジムのトレーナーの場合は、当然、筋力トレーニングを教えなければならない。筋力トレーニングを教えると言っておきながら、中世ヨーロッパ史を教えているのであれば、当然クレームが来るだろう。

書いてみると当然なのだが、理解できていない人が多い。

例えば、仕事で「おせち料理について調べて、将来それが中国に普及するかどうかを考えてほしい」と部下にお願いしたとする。

数時間後、部下から「数時間も時間を使って、調べました。おせち料理は将来中国で普及します。」と言われた。

この時、あなたは「おせち料理と言うのはそもそも何?何をおせち料理と定義している?将来中国で普及すると考えたのはなぜ?具体的にいつ普及するの?」と聞く。

部下からは「いや、わからないですけど、おせち料理は将来中国で普及します」と言われた。

こういった会話をしたことはないだろうか。

先ほども言ったが、その人の努力なんかどうでも良く、結果となぜそうなのかが正しくまとまっていれば良いのだ。

だが、上記の例では部下は、「自分が時間をかけて調べたのだから、自分が正しいのだ。」と思っている。わからないことはあるが、とにかく自分のことを正しいと思っている。Emotional 無敵の人である。

確かに、頑張りを無駄にしたくない気持ちはわかる。サンクコストが発生するからであろう。

ただ、それよりも「真実を希求する姿勢」の方がよっぽど大事である。この姿勢がないと、自分の中のフレーム内にしか正解がなくなってしまう。

世界には196か国あるのに、日本にいるだけで「靴を脱いで家に上がるのが当たり前。子供は小学校に行くのが当たり前。」のように思ってしまう。

しかし、自分が未熟であればあるほど、正解はフレーム外にあることが多い。

少なくとも、Emotional 無敵の人は未熟な人である。

真実を追求したい。

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