前回の投稿で下記のように述べた。
思うに、頭の良さは無限に段階があるのだが、一定の閾値で区切るとすると、
A:賢くない人
B:勉強の面について賢い人
C:多くの面について賢い人
の3つに区切れるように思う。
ゆえに、学力の高さと仕事力の高さは必ずしも関係しない。
仕事ができるためには、Cの能力が必要である。
なぜなら、「仕事ができる」人を世間が想起するときには、単一の「仕事ができる」ことを想定していない。
「複数の工程が存在し、同じ能力のみでは熟すことができない仕事ができる」ことを想定している。
したがって、1つの能力が高いのみ(例えば、議事録が取れる、パワーポイントのスライドを作ることができる、論点分解ができるなど)では、「仕事ができる」とみなされることはない。
受験は単一格闘技(造語。キックボクシングや柔道など1つの格闘技のことを指す)、仕事は総合格闘技である。
紙に書かれている問題に正しい答えを書くだけでは済まない。
どちらかというと、東大を志望している、ずぶの高校生がいたとする。その高校生を東大に合格させることが仕事力に近く、その講師があなたである。(のびた君を指導するドラえもん役と言い換えても良い。)
もし、本当に高校生を東大に合格させたいのであれば、コミット方法は各科目のレクチャーに閉じないはずである。
本人に勉強の習慣をつけさせる、本番で緊張しないようなリラックス方法を伝授する、本人から信頼を獲得する、親御さんと密なコミュニケーションを取る、
など、やれることはたくさんある。
学力が高い人の中には、たまたま「紙に書かれている問題に正しい答えを書く」ことが得意だった人が含まれている。
彼らは、能力が高いのではなく、勉強においてたまたま出木杉君だっただけに過ぎない。
世の中の多くの出木杉君全員が必ずしも仕事ができるわけではない。
一方、勉強することがすべての能力の根幹を築くことにも誤りはない。したがって、確率論的には勉強ができない人よりもできる人を採用した方が、結果的に能力が高い人を採用できる確率は高い。
(これは、例えば数学や国語が得意な人は思考能力が高いことを指すのだが、この手の話は別の投稿に書きたい。)
また、私の周りでの話だが、上記Cの人の中でも圧倒的に仕事ができる人は東大卒が多い。
結論、頭の良さは上記A~Cに分かれる。学力の高さと仕事力の高さは必ずしも関係しない。したがって、仕事ができない東大生は存在する。
しかし、勉強することが全ての能力の根幹を築くことになるため、勉強ができない人よりもできる人を採用した方が(顕在化していない)仕事力が高い人を採用できていることになる。
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