高校までは地方にいた。

俗にいう、自称進学校に通っていた。

私が通っていた高校は、地方の中では賢い部類に区分されるが、東京の大学と比べるとほぼ無名な高校であった。

その後は東京の大学に進学した。東京のその他の大学と比べると有名な大学であった。

私が通っていた高校も、私が通っていた大学も文字通り「頭の良い」人はいた。

だが、私が通っていた高校の「頭の良い」人は、勉強はできるが、スポーツや音楽・ゲームなどは上手ではない人が多かった。

一方、私が通っていた大学の「頭の良い人」は、勉強もでき、スポーツや音楽・ゲームが上手な人が多かった。(現に、私の大学の知り合いには、プロの音楽家・ゲーマーがいる)

思うに、頭の良さは無限に段階があるのだが、一定の閾値で区切るとすると、

A:賢くない人

B:勉強の面について賢い人

C:多くの面について賢い人

の3つに区切れるように思う。

(正直、BはCに含まれるとの見方もできる。ただ、世の中的には勉強ができる人が重宝される。その意味で外出ししてBを記載している。Bは勉強の面についてのみ賢い人、Cは勉強を含めて多面的に賢い人と捉えていただきたい)

勉強に限らず、囲碁や将棋・ゲーム・音楽・スポーツなど何でもよいが、上達の仕方は決まっている。

ただ、そこまで賢くない人は、「たまたま勉強だと上達できた(=勉強ができる人になった)」区分の人である。

同様に、「たまたまスポーツができるようになった人」「たまたまゲームができるようになった人」などが世の中にはたくさんいる。彼らはBの類の人間で、勉強の方面に能力を伸ばすことができれば「たまたま勉強だと上達できた」区分になれる人間である。

ただ、本当に優秀な人は複数の面で能力を伸ばすことができる。

勉強に限らず、彼らが注力する「学び事」は全てその能力を伸ばすことができる。

彼らにとっては、「やっている試合は変わらない」。

勉強でも何でも、上達の仕方は画一的だからである。

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